大岩3区暗誦の会テキスト
<本文>
おくのほそ道 松尾芭蕉
月日は百代の過客にして、行交う年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかうる物は、
日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
予もいずれの年よりか、片雲の風にさそわれて、漂泊の思いやまず。
海浜にさすらえ、去年の秋江上の破屋に
蜘の古巣をはらいて、やゝ年も暮、春立る
霞の空に白川の関越えんと、
そゞろ神の物につきて心をくるわせ、道祖神のまねきにあいて、取もの
手につかず。もゝひきの破をつゞり、笠の緒付かえて、三里
に灸すゆるより、松嶋の月先心にかゝりて、
住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。
<読み方>
つきひははくたいのかかくにしてゆきかうとしもまたたびびとなり。
ふねのうえにしょうがいをうかべ、うまのくちとらえておいをむかうるものは
ひびたびにしてたびをすみかとす。こじんもおおくたびにしせるあり。
よもいずれのとしよりか、へんうんのかぜにさそわれて、ひょうはくのおもいやまず、
かいひんにさすらえ、こぞのあきこうしょうのはおくに
くものふるすをはらいて、ややとしもくれ、はるたてる
かすみのそらにしらかわのせきこえんと、
そぞろかみのものにつきてこころをくるわせ、どうそじんのまねきにあいて、とるもの
てにつかず。ももひきのやぶれをつづり、かさのおつけかえて、さんり
にきゅうすゆるより、まつしまのつきまずこころにかかりて、
すめるかたはひとにゆずり、さんぷうがべっしょにうつるに、
くさのともすみかわるよぞひなのいえ
おもてはっくをいおりのはしらにかけおく。
=現代語訳例=
月日は百代にわたって旅を続けて行くものであり、来ては去り去っては来る年々も、また同じように旅人である。
舟の上に身を浮かべて一生を送り、旅人や荷物を乗せる馬をひいて生涯を過ごし、老年を迎える者は、
日々が旅であって、旅そのものを常のすみかとしている。風雅の道の古人たちも、たくさん旅中に死んでいる。
わたくしもいつのころからか、ちぎれ雲を吹きとばす風にそぞろ誘われて、漂泊の思いが止まず、この年ごろは、
海のあたりをさまよい歩き、昨年の秋、隅田川のほとりの破れ家にもどり、蜘蛛の古巣を払って久しぶりの
住まいにようやく年も暮れたのだった。が、新しい年ともなれば、立春の霞こめる空のもとに白川の関を越え
たいと願い、そぞろ神にとりつかれて物狂おしく、道祖神の旅へ出てこいという招きにあって、取るものも
手につかない。股(もも)引きの破れをつづくり、笠の緒をつけかえて、三里に灸をすえると、もう心はいつか
旅の上−松島の月の美しさと、そんなことが気になるばかりで、二度と帰れるかどうかもわからない旅であるから、
いままで住んでいた芭蕉庵は人に譲り、杉風(さんぷう)の別荘に移ったところ、
草の戸も住替る代ぞひなの家
(わびしい草庵も自分の次の住人がもう代わり住んで、
時も雛祭のころ、さすがに自分のような世捨人とは異なり、雛を飾った家になっていることよ)
と詠んで、この句を発句にして、面八句をつらね、庵の柱に掛けておいた。
(日本古典文学全集 松尾芭蕉集341P 岩波書店より)