平成28年6月15日
富士宮市教育長 プロジェクトチーム様 改定(意見等含む)をうけて
原作者、小澤氏が変更した箇所及び依然として懸案のところは赤。
現時点では懸案は、7番 佐倉惣五郎の件と
14番 歌舞伎の市川でたところ (市川團十郎のでたところ、にしたらという意見あり)
以下の歌詞、推敲コメント等を整理してPDFファイルにしてあります。
A4サイズ2ページの構成です。こちらからダウンロードできます。
【身延線鉄道唱歌 第4改定版】 作詞 小澤 肇 作曲 多 梅稚(おおの うめわか)
1
汽笛一声 富士駅を わが乗る列車 離れたり
(きてきいっせいふじえきをわがのるれっしゃはなれたり)
三十九駅 九十粁 普通列車の旅とせん
(さんじゅうきゅうえき くじゅうきろ ふつうれっしゃのたびとせん)
2
柚木 竪堀 入山瀬 近代製紙のもととなり (富士梨出場所このあたり、から変更)
(ゆのきたてぼりいりやませ きんだいせいしのもととなり)
三大仇討ち 一つなる 曽我兄弟の 寺社もあり
(さんだいあだうちひとつなる そがきょうだいのじしゃもあり)
3 右に霊峰仰ぎつつ 富士根にたなびく 雲の帯
(みぎにれいほうあおぎつつ ふじねにたなびくくものおび)
富士宮は 登山口 浅間大社に湧き水に (やきそばに、から変更)
(ふじみやはとざんぐち せんげんたいしゃにわきみずに)
4 西富士過ぎれば左に見える 安居山あたりの海の砂 (見ゆる沼久保駅をぼくまぬけ から変更)
(にしふじすぎればさにみえる あごやまあたりのうみのすな)
川もないのに沼久保で しばらく富士山さようなら (さかさに読んで失礼す、ここらで富士山さようなら、から変更)
(かわもないのにぬまくぼで しばらくふじさんさようなら)
5 三大急流富士川に 沿って行きます芝川は
(さんだいきゅうりゅうふじかわに そってゆきますしばかわは)
筍・梅の産地なる自然の豊かな川の町
(たけのこ・うめのさんちなる しぜんのゆたかなかわのまち)
6 戦国武将信長公
首塚西山本門寺
(せんごくぶしょうのぶながこう
くびづかにしやまほんもんじ)
平家の落武者維盛の 墓が稲子の奥に在り
(へいけのおちむしゃこれもりの はかがいなこのおくにあり)
7 稲子で駿河を後にして
甲州十島よいところ
(いなこでするがをあとにして
こうしゅうとうしまよいところ)
義民で命かけた人 佐倉惣五郎出たところ 南部町教委がなんと判断するか?(Wikiペディアによると下総国印旛郡公津村出身)
(ぎみんでいのちかけたひと
さくらそうごろうでたところ)
8 井出ては寄りはた内船へ 南部の火祭り空焦がす
(いでてはよりはたうつぶなへ なんぶのひまつりそらこがす)
奥州南部の祖の地なり 遺風は今に伝えらる
(おうしゅうなんぶのそのちなり いふうはいまにつたえらる)
9
身延の駅に降り立ちて 日蓮宗の総本山
(みのぶのえきにおちたちて
にちれんしゅうのそうほんざん)
五重の塔の再建に 枝垂れ桜が花添える
(ごじゅうのとうのさいけんに しだれざくらがはなそえる)
10 信玄公の隠し湯の 下部で疲れ癒されん
(しんげんこうのかくしゆの しもべでつかれいやされん)
湯の奥甲州金山は
武田氏支えた軍資金
(ゆのおくこうしゅうきんざんは
たけだしささえたぐんしきん)
11 全国各地に木像を 遺せし木喰上人の
(ぜんこくかくちにもくぞうを のこせしもくじきしょうにんの)
生れは古関微笑館
山の上でも人絶えず
(うまれはふるせきびしょうかん
やまのうえでもひとたえず)
12 市ノ瀬久那土甲斐岩間 印章で名高き町なれや
(いちのせくなどかいいわま
いんしょうでなだかきまちなれや)
向いの西島和紙作り 書家の望みの叶う町
(むかいのにしじまわしつくり しょかののぞみのかなうまち)
13 視界が開けて鰍沢
舟運の名残り今はなく
(しかいがひらけてかじかざわ
しゅううんのなごりいまはなく)
敷かれし鉄路に拠る処 甲駿交流夜明けなり
(しかれしてつろによるところ こうすんこうりゅうよあけなり)
14 市川大門本町 知恵の文殊の名も高く
(いちかわだいもんほんまち ちえのもんじゅのなもたかく)
歌舞伎の市川でたところ 夢々共々忘れなん (市川團十郎でたところ、から変更した。というより元に戻した)
(かぶきのいちかわでたところ ゆめゆめともどもわすれなん)
15 笛吹川を打ち渡り 見よや果樹やら野菜やら
(ふえふきがわをうちわたり みよやかじゅやらやさいやら)
果樹王国と謳わるる 甲府盆地の花輪なる
(かじゅおうこくとうたわるる こうふぼんちのはなわなる)
16 四方の山に目をやれば 雲突く山脈いや高く
(しほうのやまにめをやれば くもつくやまなみいやたかく)
老樹の深き善光寺 石和の湯けむり指呼の間 (山紫水明、から変更)
(ろうじゅのふかきぜんこうじ いさわのゆけむりしこのかん)
17 終点甲府は中央線 乗り継ぐ人も数多く
(しゅうてんこうふはちゅうおうせん のりつぐひともかずおおく)
躑躅ケ崎の夢の跡 武田の遺跡守れかし (躑躅ケ崎今も尚、から変更)
(つつじがさきのゆめのあといまもなお たけだのいせきまもれかし)
18
時は人を替えれども 山梨静岡両県の
(ときはひとをかえれども
やまなししずおかりょうけんの)
明るく平和な郷づくり 身延線と共に栄えあれ
(あかるくへいわなさとづくり みのぶせんとともにさかえあれ)
身延線と共に栄えあれ
(みのぶせんとともにさかえあれ)