平成28年6月17日
南部町教育長 渡辺拓雄様の協力も得て、いくつかご意見をいただきました。
その上で、即改定できるところを改定した版です。
(変更箇所赤で呈示。
現時点では懸案は、
7番 佐倉惣五郎の件 (事実は確認されていない、現地でも知る人がいない)
義民については、十島村の長百姓九兵衛がある程度有名で史実(古文書)もある。
11番 「木喰上人」の古関微笑館の歌詞には、駅名が一つもでてこないので、違和感。
14番 歌舞伎の市川でたところ (團十郎のでたところ、にしたらという意見あり)
14番 市川大門本町駅 (市川大門駅、市川本町駅を併せて 市川大門でいいのでは)
山梨県では、「市川大門花火町」というフレーズが定着している。
「甲斐上野駅 知恵文殊」というフレーズが県内でよく使われる。
自発的変更として
2番 近代製紙のおきたとこ(←もととなり)
5番 水と緑の富める町 (←自然の豊かな川の町)
9番 枝垂桜も見守りて(←枝垂桜が花を添え)
以下の歌詞、推敲コメント等を整理してPDFファイルにしてあります。
A4サイズ2ページの構成です。こちらからダウンロードできます。
【身延線鉄道唱歌 第5改定版】 作詞 小澤 肇 作曲 多 梅稚(おおの うめわか)
1
汽笛一声 富士駅を わが乗る列車 離れたり
(きてきいっせいふじえきをわがのるれっしゃはなれたり)
三十九駅 九十粁 普通列車の旅とせん
(さんじゅうきゅうえき くじゅうきろ ふつうれっしゃのたびとせん)
2
柚木 竪堀 入山瀬 近代製紙のおきたとこ (←もととなり、から変更)
(ゆのきたてぼりいりやませ きんだいせいしのおきたとこ)
三大仇討ち 一つなる 曽我兄弟の 寺社もあり
(さんだいあだうちひとつなる そがきょうだいのじしゃもあり)
3 右に霊峰仰ぎつつ 富士根にたなびく 雲の帯
(みぎにれいほうあおぎつつ ふじねにたなびくくものおび)
富士宮は 登山口 浅間大社に湧き水に
(ふじみやはとざんぐち せんげんたいしゃにわきみずに)
4 西富士過ぎれば左に見える 安居山あたりの海の砂
(にしふじすぎればさにみえる あごやまあたりのうみのすな)
川もないのに沼久保で しばらく富士山さようなら )
(かわもないのにぬまくぼで しばらくふじさんさようなら)
5 三大急流富士川に 沿って行きます芝川は
(さんだいきゅうりゅうふじかわに そってゆきますしばかわは)
筍・梅の産地なり 水と緑の富める町
(たけのこ・うめのさんちなり みずとみどりのとめるまち)
6 戦国武将信長公
首塚西山本門寺
(せんごくぶしょうのぶながこう
くびづかにしやまほんもんじ)
平家の落武者維盛の 墓が稲子の奥に在り
(へいけのおちむしゃこれもりの はかがいなこのおくにあり)
7 稲子で駿河を後にして
甲州十島よいところ
(いなこでするがをあとにして
こうしゅうとうしまよいところ)
義民で命かけた人 佐倉惣五郎出たところ ←南部町教委談:史実確認されず
(ぎみんでいのちかけたひと
さくらそうごろうでたところ)
8 井出ては寄りはた内船へ 南部の火祭り空焦がす
(いでてはよりはたうつぶなへ なんぶのひまつりそらこがす)
奥州南部の祖の地なり 遺風は今に伝えらる
(おうしゅうなんぶのそのちなり いふうはいまにつたえらる)
9
身延の駅に降り立ちて 日蓮宗の総本山
(みのぶのえきにおちたちて
にちれんしゅうのそうほんざん)
五重の塔の再建に 枝垂れ桜も見守りて ←
(ごじゅうのとうのさいけんに しだれざくらがはなそえる)
10 信玄公の隠し湯の 下部で疲れ癒されん
(しんげんこうのかくしゆの しもべでつかれいやされん)
湯の奥甲州金山は
武田氏支えた軍資金
(ゆのおくこうしゅうきんざんは
たけだしささえたぐんしきん)
11 全国各地に木像を 遺せし木喰上人の ←駅名なし。違和感。
(ぜんこくかくちにもくぞうを のこせしもくじきしょうにんの)
生れは古関微笑館 山の上でも人絶えず ←駅名なし。違和感。
(うまれはふるせきびしょうかん やまのうえでもひとたえず)
12 市ノ瀬久那土甲斐岩間 印章で名高き町なれや
(いちのせくなどかいいわま
いんしょうでなだかきまちなれや)
向いの西島和紙作り 書家の望みの叶う町
(むかいのにしじまわしつくり しょかののぞみのかなうまち)
13 視界が開けて鰍沢
舟運の名残り今はなく
(しかいがひらけてかじかざわ
しゅううんのなごりいまはなく)
敷かれし鉄路に拠る処 甲駿交流夜明けなり
(しかれしてつろによるところ こうすんこうりゅうよあけなり)
14 市川大門本町 知恵の文殊の名も高く ←市川大門駅、市川本町駅=併せて市川大門でOK
(いちかわだいもんほんまち ちえのもんじゅのなもたかく) ←知恵文殊神社からは遠い。むしろ甲斐上野駅知恵文殊。
歌舞伎の市川でたところ 夢々共々忘れなん (←團十郎のでたところ、で十分市川團十郎を想起できる)
(かぶきのいちかわでたところ ゆめゆめともどもわすれなん)
15 笛吹川を打ち渡り 見よや果樹やら野菜やら
(ふえふきがわをうちわたり みよやかじゅやらやさいやら)
果樹王国と謳わるる 甲府盆地の花輪なる
(かじゅおうこくとうたわるる こうふぼんちのはなわなる)
16 四方の山に目をやれば 雲突く山脈いや高く
(しほうのやまにめをやれば くもつくやまなみいやたかく)
老樹の深き善光寺 石和の湯けむり指呼の間 (←山紫水明、から変更)
(ろうじゅのふかきぜんこうじ いさわのゆけむりしこのかん)
17 終点甲府は中央線 乗り継ぐ人も数多く
(しゅうてんこうふはちゅうおうせん のりつぐひともかずおおく)
躑躅ケ崎の夢の跡 武田の遺跡守れかし (←躑躅ケ崎今も尚、から変更)
(つつじがさきのゆめのあといまもなお たけだのいせきまもれかし)
18
時は人を替えれども 山梨静岡両県の
(ときはひとをかえれども
やまなししずおかりょうけんの)
明るく平和な郷づくり 身延線と共に栄えあれ
(あかるくへいわなさとづくり みのぶせんとともにさかえあれ)
身延線と共に栄えあれ
(みのぶせんとともにさかえあれ)