平成28年6月11日 富士宮市教育長 プロジェクトチーム様 改定案
(富士宮市校長会 社会科部会 協議結果 コメントは太字斜体

以下の歌詞、推敲コメント等を整理してPDFファイルにしてあります。
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【身延線鉄道唱歌 第3改定版】 作詞 小澤 肇  作曲 多 梅稚(おおの うめわか)

1  汽笛一声 富士駅を わが乗る列車 離れたり
  (きてきいっせいふじえきをわがのるれっしゃはなれたり)
  三十九駅 九十粁 普通列車の旅とせん
  (さんじゅうきゅうえき くじゅうきろ ふつうれっしゃのたびとせん)
2  柚木 竪堀 入山瀬 富士梨 出場所 この辺り       (富士梨は水戸島方面が最初)
  (ゆのきたてぼりいりやませ ふじなしでばしょこのあたり)
  三大仇討ち 一つなる 曽我兄弟の 寺社があり
  (さんだいあだうちひとつなる そがきょうだいのじしゃがあり)
3  右に霊峰仰ぎつつ 富士根にたなびく 雲の帯
   (みぎにれいほうあおぎつつ ふじねにたなびくくものおび)
  富士宮は 登山口 浅間大社に焼きそばに   (昭和の設定なら、? 神田川、涌玉池 などいかがか)
  (ふじみやはとざんぐち せんげんたいしゃにやきそばに)
4  西富士過ぎれば左に見ゆる 沼久保駅を「ぼくまぬけ」 (差別用語の心配あり)
  (にしふじすぎればさにみゆる ぬまくぼえきを「ぼくまぬけ」)
  逆さに読んで 失礼す ここらで富士山 さようなら
  (さかさによんでしつれいす ここらでふじさん さようなら)
5  三大急流富士川に 沿って行きます芝川は
   (さんだいきゅうりゅうふじかわに そってゆきますしばかわは)
  筍・梅の産地なる自然の豊かな川の町
  (たけのこ・うめのさんちなる しぜんのゆたかなかわのまち)
6  戦国武将信長公 首塚西山本門寺
  (せんごくぶしょうのぶながこう くびづかにしやまほんもんじ)
  平家の落武者維盛の 墓が稲子の奥に在り
  
 (へいけのおちむしゃこれもりの はかがいなこのおくにあり)
7  稲子で駿河を後にして 甲州十島よいところ
  (いなこでするがをあとにして こうしゅうとうしまよいところ)
  義民で命かけた人 佐倉惣五郎出たところ   (Wikiペディアによると下総国印旛郡公津村出身)
 
  (ぎみんでいのちかけたひと さくらそうごろうでたところ)
8  井出ては寄りはた内船へ 南部の火祭り空焦がす
  (いでてはよりはたうつぶなへ なんぶのひまつりそらこがす)
  奥州南部の祖の地なり 遺風は今に伝えらる
  (おうしゅうなんぶのそのちなり いふうはいまにつたえらる)
9  身延の駅に降り立ちて 日蓮宗の総本山
  (みのぶのえきにおちたちて にちれんしゅうのそうほんざん)
  五重の塔の再建に 枝垂れ桜が花添える
  (ごじゅうのとうのさいけんに しだれざくらがはなそえる)
10 信玄公の隠し湯の 下部で疲れ癒されん
   (しんげんこうのかくしゆの しもべでつかれいやされん)
  湯の奥甲州金山は 武田氏支えた軍資金
  (ゆのおくこうしゅうきんざんは たけだしささえたぐんしきん)
11 全国各地に木像を 遺せし木喰上人の
  (ぜんこくかくちにもくぞうを のこせしもくじきしょうにんの)
  生れは古関微笑館 山の上でも人絶えず
   (うまれはふるせきびしょうかん やまのうえでもひとたえず)
12 市の瀬久那土甲斐岩間 印章で名高き町なれや (市ノ瀬が正式駅名。地名なら市之瀬)
  (いちのせくなどかいいわま いんしょうでなだかきまちなれや)
  向いの西島和紙作り 書家の望みの叶う町
  (むかいのにしじまわしつくり しょかののぞみのかなうまち)
13 視界が開けて鰍沢 舟運の名残り今はなく
  (しかいがひらけてかじかざわ しゅううんのなごりいまはなく)
  敷かれし鉄路に拠る処 甲駿交流夜明けなり
  (しかれしてつろによるところ こうすんこうりゅうよあけなり)
14 市川大門本町 知恵の文殊の名も高く
  (いちかわだいもんほんまち ちえのもんじゅのなもたかく)
  市川団十郎の出た所 夢々共々忘れなん (正式には市川團十郎)
  (いちかわだんじゅうろうのでたところ ゆめゆめともどもわすれなん)
15 笛吹川を打ち渡り 見よや果樹やら野菜やら
   (ふえふきがわをうちわたり みよやかじゅやらやさいやら)
  果樹王国と謳わるる 甲府盆地の花輪なる
  (かじゅおうこくとうたわるる こうふぼんちのはなわなる)
16 四方の山に目をやれば 雲突く山脈いや高く
  (よものやまにめをやれば くもつくやまなみいやたかく)
  山紫水明善光寺 石和の湯けむり指呼の間 (善光寺が山紫水明と言えるか?)
  (さんしすいめいぜんこうじ いさわのゆけむりしこのかん)
17 終点甲府は中央線 乗り継ぐ人も数多く
 
 (しゅうてんこうふはちゅうおうせん のりつぐひともかずおおく)
  躑躅ケ崎今も尚 武田の遺跡守れかし
  (つつじがさきいまもなお たかだのいせきまもれかし)
18 時は人を替えれども 山梨静岡両県の
  (ときはひとをかえれども やまなししずおかりょうけんの)
  明るく平和な郷づくり 身延線と共に栄えあれ
   (あかるくへいわなさとづくり みのぶせんとともにさかえあれ)
  身延線と共に栄えあれ
 
 (みのぶせんとともにさかえあれ)